ホンモノのエンジニアになりたい

ITやビジネス、テクノロジーの話を中心とした雑記ブログです。

若手の離職を防止するための3つの考え方

パンツ一丁でスキー板を持つ男

 

新聞の読者寄稿欄にすごくいいことが書いてあったので備忘のため自分の考えと合わせて整理しておく。

 

www.nikkei.com

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寄稿者はNPO法人老いの工学研究所理事長の人。

 

記事概要

新入社員の早期離職が止まらない。企業側も対策として、メンター制度や配属前研修、人事部面談といったことを実施してきた。それでも早期離職が減らないのはいずれも小手先の対策に過ぎないためだ。

 

企業がとるべき姿勢は以下の三点である。

①脱・標準化主義

仕事において型は大切だが、自分の若かった時の「あるべき新人像」と比較して修正を迫るのはだめ。新人は萎縮と遠慮の日々だから辞めたくなって当然。

②脱・形式主義

目的があいまいな儀礼・慣習、意味の薄い会議やルール、価値の低い業務などに巻き込むべきでない。これらを通じて成長や貢献は実感できない。

③脱・修行主義

反復行動を強いる修行のような働かせ方は若手を放置するのと一緒。心身鍛錬のために入社するのではない。仕事の意義を説き、夢を語り、フィードバックを欠かさないようにすべきだ。

 

考察・感想

①脱・標準化主義

仕事において型は大切だが、自分の若かった時の「あるべき新人像」と比較して修正を迫るのはだめ。新人は萎縮と遠慮の日々だから辞めたくなって当然。

これは結構難しい問題だと思う。自分の若かった時の「あるべき新人像」が正しい場合もあるからですね。ただ「唯一無二の正しい新人像が存在する」と先輩側が考えている場合はやっぱり間違いなんだと思います。

新人は新人で自分と違う人生を歩んできて、違うことを学んできているわけです。社会人としてのキャリアが無い分、これから洗練されていく部分はありますが、新人側が思う正しい新人像”も”正解である場合があると思います。

そうなると安易に否定して修正を迫るのはダメですね。ちゃんと話をして考えの根源にあるのは何なのか、先輩の考えの元になっている部分と何が違うのか、これを一緒になって明らかにすることが大事です。きちんと意思疎通できれば、ただスタートとなる場所が違うだけで考え方自体は正しいということもある。そうなれば新人に対して、どういう考えを元に「あるべき新人像」を求めているか理解してもらうことができる。ちゃんと話をして相互理解することが大事です。

 

ただそのような話をする中で、会社や先輩側は自分が圧倒的に強い立場にいることを理解していなくてはいけないと思う。異論を唱える新人をイジメる気は無くても、新人は「(イジメられるかもしれない)」と考えてしまう可能性は十分にある。

強い立場の人間が、自分の強さを理解せずに考えを押し付けると、結局のところ組織としては損をしてしまうと思う。短期的には自分の思う通りに人を動かせるが、長期的に見た場合、「あの人の意見に反対しても(職位的な)パワーで押し通されるだけだから反論しても無駄。言うだけ気分が悪くなる。」と考える人が増えてしまう。結果的にチームとして能力を発揮できなくなる。本来はチームで議論をすれば人数分の正しさ(品質や洗練さ)が得られるはずが、アウトプットは1人分の品質しか得られないという状況になる。

更に具合の悪い事に、新人はとても不安定な生き物だから先輩からの影響を受けやすい。「学生と社会人は違う」「学生気分が抜けてない」「社会に出ることは大変なんだ」こういう事を吹聴する人が多いので、多くの学生は社会というのは自分たちが今まで住んでいたところとは全く違う恐ろしい世界と考えがち。そんな魔界みたいな場所で経験値も積んでなく、戦うための武器(スキル)もない、周りにいる先輩が味方なのか敵なのか判別する術も持たない状態で職場に来ているわけだ。自信過剰な馬鹿と極めて優秀な人間以外は、目の前にいる先輩に服従する姿勢を見せることが最も利のある選択となってしまう。

元記事にある通り、新人は配属後に萎縮と遠慮の日々を送っている。我々先輩エンジニアも1人で客先常駐するのは避けたいと考える人が多いと思う。知り合いが1人もいない現場に送られた時は、それこそ新人と同じく萎縮と遠慮の日々を送ることになる。先輩エンジニアの場合、何らかの具体的なスキルを期待されて送り出されることが多いため、専門家として大事にされることもあるが、新人はそうはいかない。期待されているレベルも分からない、社会という魔界の常識もわからない、そんな状態で自分の意見を問答無用で否定される日々を送っていたら、それは辞めたくなって当然だ。

 

②脱・形式主義

目的があいまいな儀礼・慣習、意味の薄い会議やルール、価値の低い業務などに巻き込むべきでない。これらを通じて成長や貢献は実感できない。

曖昧な儀礼・慣習・ルール、意味の薄い会議のところは概ね同意です。曖昧なルールは新人にとって、近づきがたい存在になります。大丈夫だろうと思ったところが実は踏んではいけないところだったという話はよくあります。社会人としてエンジニアとして当然大丈夫だろうという前提で作られたルールは新人にとって理解できないことが多い。

こういった曖昧な環境で育ったエンジニアは、先輩と同じく曖昧なルールを好むエンジニアになりやすい。特に若い時に同じシステム開発現場で3年も5年もいて、そのシステムが名のある企業のシステムだったり、一次請け企業が名のある企業である場合、「一流企業に認められている正しいやり方」と勘違いしてしまう痛いエンジニアが結構いる。色んな開発現場を見ていると、どのシステムにも癖(独自の考え方やトラブル回避で行った暫定策)があって、その特殊性をきちんと認識している人たちはちゃんとしている人が多い。途中で人員追加となっても、「普通に考えたらこれはちょっと変ですが、これがここの特殊なルールです」と説明できる。

勘違いエンジニアは自分たちの現場が特殊性を持っているということを理解できていないため、特殊(普通ではない)ではなく、素晴らしいスペシャルな方法であると思っている。そしてそこに入ってずっといる若手エンジニアはいつの間にか、先輩と同じ考え方で、素晴らしいスペシャルな方法で運用されているシステムであると思い込む。当然一時的な人員追加が発生しても、自分たちが特殊だと認識していないから、相手の共通理解を得ることもできない。そしてその特殊性を理解していないと、その場における正しい判断を導き出せないため、外部から入った人間は世間一般のルールをベースに考えて地雷を踏む。踏むときはそれこそ一切の躊躇なく一気に踏み抜く。痛い系エンジニアはそんなことが起こっても自分たちのやり方おかしいとは思わない。「なんであんな常識もないやつを入れたんだ」と怒り出す。

少し話が逸れた部分もありますが、曖昧なルールはトラブル発生の元になるし、中途半端なルールは人材育成にも大きな影響があるのは確かです。何よりそこに新たに配属された人間には非常に強いストレスがかかることを受け入れ側は考えないといけないんだと思います。会社に勤めているとたまに自分たちの組織はこれからどうあるべきか、なんて話になることがあります。そんな時には「今のメンバーで上手くいってるから」ではなくて、新人も含めた第三者が入ってきた時に困らないかという観点で曖昧性の排除を考えるのもいいなと思いました。

 

③脱・修行主義

反復行動を強いる修行のような働かせ方は若手を放置するのと一緒。心身鍛錬のために入社するのではない。仕事の意義を説き、夢を語り、フィードバックを欠かさないようにすべきだ。

これも完全同意です。上述した通り、新人から見ると会社や社会というのは魔界みたいなものですから、修行のようなことをさせていると、離職するか、そういう場所なのだと勘違いしてしまう。なぜその作業が必要かを説明し、アウトプットに対しては作業時間や品質、方法アプローチが適切だったかを返してやらないといけない。適切だったと言ってあげれば新人は安心し、自信を持つきっかけにもなる。何も言わなければ「とりあえずダメでは、、、無い?それとも文句言う気も出ないほど社会人としてレベル低いのかしら。。。」と考え不安を感じてしまう。つまりフィードバックがもらえないから自分の作業が良かったのか悪かったのか、それすらわからない状態になる。承認欲求がまったく満たされない環境です。

 

私が新人で初めて現場配属された時が正にそうだった。数年分に及ぶ大量のログファイルを渡されて、集計方法だけ教えられやっとけと言われた。これが何の役に立つかわからない上に、膨大な単純作業だった。

この作業の目的は何でしょうか?と聞くと、偉そうなこと聞くなお前、とにかくやればいいんだよと。

スクリプト書いて自動化していいですか?と聞くと、手作業でやれと。

何で手作業でやるんですか?と聞くと、スクリプトが正しいと証明できるのか、と。

スクリプトを見てくれて、テストすれば正しいと考えることが出来るのでは、と言えば、それは証明ではない、お前は理系なんだから証明の意味くらいわかるだろと。

確かに証明ではないが、そもそもプログラムが正しいことを絶対的に証明することは出来るのだろうかと疑問に思った(その後プログラムに対して正しさの証明など無いことを知った。だからテストがあるんだろう)。そのクソ先輩はどうやら手作業でやる以外の選択を受け入れるつもりは無さそうだし、既に半分キレている状態だった。私にとって社会人になって最初の仕事だったもので、素直に従うことにした。クソ先輩の説明には納得できなかったが、現場において圧倒的弱者である新人の私が宣戦布告しても利益は無い。

そしてもちろんフィードバックは無かった。最終アウトプットを先輩に送り、説明しようとしたが、「あぁ、見とく。次は〇〇さんに指示を仰げ」と。結局私は何のために作業をしていたのか、そして期待通りに作業が出来ていたのか、何もわからず不安と不満だけを積み上げた。

 

これは作業の意義も説明しないし、大して役にも立たない情報を手作業で集計させるという典型的な修行作業だったと思う。

私も普通の人間なので新人の頃は、社会に出てやっていけるかという不安と、会社や社会に貢献したいと思う気持ちも持っていた。しかし指示された作業は何でやるのか分からないものだった。仕事をするってのはこういうことなのか、それとも自分が期待しすぎていたのか。

今思うと、あのクソ先輩のやり方は間違っていると思える。しかし自分が期待しすぎていた部分もあると思う。私が先輩方を社会と言う魔界の住人と思う一方で、先輩方も私のことをスライムレベルなのか、バブルスライムくらいの尖った能力を持つのかわからなかったのだと思う。とは言っても、新卒新入社員が入ってきた時にどちらが歩み寄って、どちらが気を使うかと言ったら、それは受け入れ側の義務であると思う。

 

私の話が長くなってしまったが、やはり新人の離職防止や育成のことを考えると、早くから配属先で意味のある仕事(難易度は関係ない)を任して、居場所を作ってあげることが重要だと思う。そして十分にコミュニケーションをとって、その仕事がどんな意味を持つのか、誰にどんな風に役立つのか、アウトプットは期待通りか話をすることが重要だと思う。

 

おわりに

このエントリの元記事に目が留まったのは、「老いの工学研究所」なんて如何にも(頭が)堅そうな組織の長がどんな事を書くのか、どうせ見当違いのこと書いてるんだろうなと思ったからです。

しかし実際に読んでみると、書いてあることはむしろ若者に寄り添ったものであり、かつての世代でやられていた無駄な精神修行への批判的な内容だったので驚いた。そして落ち着いて考えてみると短いコラムではあるものの、企業側がとるべき姿勢について簡潔にまとめられていて、何らかの形でクリップしておきたいと考えてこのエントリを書きました。

短いコラムを読んで自分の考えをダラダラ書いただけですが、良い本を一冊読めた時の満足感に近いものが得られました。日経は無料で本文読めるので、全文が気になる方は是非。

 

おわり