ホンモノのエンジニアになりたい

ITやビジネス、テクノロジーの話を中心とした雑記ブログです。

”思考停止”という名のスーパーマジックワード。満員電車に乗りながら

思考停止する人

すごく便利で強力な言葉「思考停止」。なるべく思考停止しないように心掛けながら、このスーパーマジックワードを愚考していくエントリです。

 

 

誰だってどこかで思考停止する。それを安易にディスるのは良くない。

このエントリで書きたいことは、このタイトルにつきます。

 

たとえば専門家が専門領域のことを考えるってなら、それは思考停止にはならないでしょう。行くところまで行って、もうこれ以上分からないという壁にぶつかっても、それでも考え続けるものです。

 

でも我ら普通の人が日常のことを突き詰めて行けるところまで考え続けるってことは、なかなか出来ることではありません。誰だって全てのことについて、考え続けられるわけじゃない。

 

人の行動は、その人が積み重ねた思考の結果だと考えます。それは思考の癖だったり、それに基づく無意識下の思考を含むものです。そうやって人が積み重ねた結果として表面に現れた行動を、第三者が「思考停止してる」と指差して批判するのは良くないと思うのです。

 

仕事をしていても、普段の生活の中でも、実際に「あ、この人なんも考えてないわ」と思うことはあります。誰だってあるでしょう。でもそれはそのまま「思考停止」という言葉を使って表現するのではなく、「先のことを考えておいた方がいいですよね」と、むしろ思考を促す言葉に変えて使うべきだと思います。

 

理由や経緯に思いを馳せること

システム関係の仕事をしていると、たまにこんなことを言う(暗に指摘する)人がいます。

「なんでこんな(クソみたいな)作り方してるんですか?」

 

それは開発した時に、あるべき姿を見定められなかったり、ベストプラクティスを知らなかったり、作った当時はノウハウが無かったり、何かのバグを回避するためだったり、色々と理由・経緯があるものです。そういう積み上げられたものを無視して、その時点の状態だけをみて「全然だめ。これでいいと思ってんの?バカなの?思考停止してんの?」という態度をとる。

 

誰だってメンテナンス性が高くて、拡張性に優れていて、障害に強くて、美しく整頓されたシステムを作りたいと思っている。でも色んな理由・経緯があって、そういうシステムにできなかったと。そして運用が始まるとまた色々な制約が出てくるから作り直しもできなくなる。でも最低限きちんと動いて、望みは叶えてくれる。

 

この場合、思考停止しているのはどっちか?「思考停止してんの?」という態度をとる人と、その時点で美しくないシステムを運用している人。

 

私は前者の方が思考停止していると思う。『なんでこんな(クソみたいな)作り方してるんだろう・・・当時はノウハウがなかったのかな?未経験者がアサインされちゃったのかな?とりあえず動けばいいって話になったのかな?』と深堀して考える必要があると思うのです。言ってしまえば、それは「思いやり」の気持ちなのかもしれないし、「コミュニケーション能力」というスキルなのかもしれません。

 

言うのは楽だし、マウントを取れて楽しいのかもしれない。でも安易に「思考停止してんの?」と言っちゃうのは非常によろしくないことだと思っています。

 

思考停止している人。満員電車のこと。

思考停止という言葉が使われるときに、セットで出てくる事象として『満員電車』の話があります。特に品川駅を舞台に、同じようなスーツを着て、朝から疲れ切った表情で、大群になって会社に向かう人たちのことが引き合いに出されたりします。『満員電車に乗っている人=思考停止マン』という話。これについても私の意見を書いてみたいと思います。

 

『満員電車に乗っている人=思考停止マン』理論は、実は内部的に2つの勢力に分かれていると思っています。

 

勢力その1:満員電車に乗るようなライフスタイルへの批判

これは真面目な批判をしている勢力です。そんな朝から疲弊するイベントを組み込んでどーすんのさ?職場に近いところに引っ越すなり、ピークを外して乗るなり、フレックスとか使えばいいのに、という割とまっとうな批判をする人たちです。

この意見は私も半分はそうだと思っています。あんな疲れるイベントを朝からよーやるなと思いながら、いやいやそうじゃないと思う部分もあるんです。詳しくは次項で。

 

勢力その2:サラリーマンというステータス自体への批判

こっちの人たちは、勢力その1が行った真面目な批判に乗っかって論を展開している人たちです。

「満員電車=思考停止」、「満員電車=サラリーマン」、これすなはち「サラリーマン=思考停止」と。

この勢力その2の主張には同意しかねます。むしろ安定した職を持っているサラリーマンへの嫉妬なのかな、とすら思っています。

 

思考停止という言葉をアウトプットすること

まずは前項で半分は同意してると書いたところから。これは単純に「そうせざるを得ない人」と「それを受け入れている人」というのが少なからずいるからです。

 

「そうせざるを得ない人」(=満員電車に乗らざるをえない人)っていうのは実際に前職の職場にもけっこういました。子供を保育園に送るとか家庭の事情があって、そこから会社に向かうと始業時間ギリギリになってしまう。つまりピーク時に電車に乗らないといけないという人。

 

「それを受け入れている人」というのは、たとえば趣味が第一とか、その他働くことよりも優先したいことがある人のこと。家の中でしか出来ない趣味に没頭して、労働以外の全てをそれに費やしているような人ですね。そういう人はなるべく家の中にいる時間を増やしたいと考える。そうなると、始業時間ギリギリに間に合うように行動することが最適行動になります。結果として満員電車に乗るわけですけど、本人はそれは仕方ないことと受け入れている。

 

あとこれらの併せ技のパターン。たとえばサラリーマンがどこに終の棲家としてマンションを買ったとします。しばらくして異動を命じられ、激込み区間の電車に乗らなければならなくなった。子供を保育園に送る必要があるため早く出社するという選択がとれない。会社もフレックスを認めてくれない。こんな人。

 

こういう人たちを指さして「あいつは思考停止してる」と第三者が発言するのは適切なことなんだろうか。私はそうは思いません。

 

「満員電車に乗っている人」と一括りにしても色んな人がいるわけです。それぞれはレアケースですけど、それらを全部一緒くたにして、『満員電車に乗っている人=思考停止マン』と見てしまうのは少々極端すぎるように私には見えます。

 

私も少し極端な理屈を展開すると、『満員電車に乗っている人は思考停止している』って話は『〇〇(どっかの国の)人は嫌い』と言っているのと大差ないんじゃないかと思うんです。同じようなレッテル貼りをしてるんじゃないでしょうか。たまーに見かけますよね。特定の国の人ぜんぶを嫌っている人。考えの根っこはそれと同じなんだと思います。自分と違う属性の人は全部敵みたいな考え。

 

実は言葉はただの悪口なんじゃないだろうか

本当に思考停止しているのかなんて、外からみているだけじゃ分からないですよ。ただの悪口だと思うんです。

 

また満員電車の例を出しますと、

満員電車に乗るなんて思考停止してますね
あぁ、実は家族の面倒を見ないといけないんです。転職活動するヒマもないし。詰んでますよね。死んだ方が楽かもしれませんね。ハァ
・・・(あ、やべ。地雷踏んだ) 

 

ってなるでしょ。 

リアルでもネットでも「思考停止」という言葉を使うときは相手を傷つけてしまわないか、一度立ち止まって考えた方がいいと思います。こういう強い言葉ってのは大体が諸刃の剣です。使っている間は心地いいのかもしれないですが、それはいつか自分に返ってくるもの。

 

と、書きながらたまに自分も使ってんですけどね。自戒の念を込めて書いたところで、華麗に筆を置きます。

 

おわり