ホンモノのエンジニアになりたい

ITやビジネス、テクノロジーの話を中心とした雑記ブログです。

ここ数年の振り返り、今後のウェブログへの取り組みについて

 

1年ぶりくらいのエントリです。またちょこちょこ書いていきたいなと思ってます。

まずは近況といいますか、ここ2-3年の状況を整理してみたいと思います。これがなきゃ何だか前に進めないような、そんな気がしているのです、はい。

 

直近の3年間は人生の中でも大きな決断をした時期でした。何から書いていくのがドラマティックなのか・・・、結局はHeyHeyBonBon(平々凡々)な社畜のお話、自分の文才じゃドラマにならんし、ぶっちゃけドラマTECHな話でもないので、時系列で書いていくことにします。

 

<余談>
いま読んでいる書物にすごく良い言葉があったので、このエントリを書きながら苦悩している自分に向けて、ここに置いておくことにする。

「完璧を目指すよりまず終わらせろ」(「サルたちの狂宴」より)

 

 

1.直近三年間に起こった(起こした)ことまとめ

あたくしは2017年に新卒から勤めたSIerを辞め、18-19シーズンを無職として過ごしておりました。このブログの中ではその期間中もSIer戦士を名乗っていたこともありましたが軽い身バレ対策です。(バレて困ることはないですが、悪口 批判を書きづらくなる)

まとめるとこんな感じ。書いてみると三行しかないのですね

  • 2017年末、SIer退職
  • 2018-2019シーズン、無職
  • 2020シーズン、SIer入社

とりあえず近況報告としてこの三行を簡単にまとめていきたいと思う。(全然簡単なまとめにならなかったので訂正す)

 

2.2017年末にSIer退職

わたしはなんか退職エントリとか書きたくなかったんですよ。どうしても前職をディスり気味になってしまうから。如何に優しい言の葉で包んでも、結局は「もうこの会社にいたくない」という話になってしまう。世の中には「辞めたくないけど辞めざる負えない人」も一定数いますが、私はそういうんじゃなくて自分のキャリアを考えて、、、って書くとキレイごとかな。自分の求めるスピードで、自分の求める方向に成長できなくなったので辞めたってのが本音ですね。

もうちょっと深堀します。

 

2.1.技術者としての終わり

会社を辞めた理由、私の場合は「これがクソだから」という単一の理由ではなくいくつかの複合的なものでした。それらの理由も単体では辞めるまでに至らなかったかもしれません。ただ、それらが絡み合い、ついでに細かな理由群が最後の一押しをして「退職願」を書くに至りました。

 

前職はコッテコテのメーカー系SIerでした。「国内のプライムベンダーを5社あげてください」と言われたら大体入ってくる会社のシス子ちゃんで、社員数は数千人だったので世間的には大会社の扱いだったと思います。親会社の看板が強力で、社会的な信用が厚くローンを組むのも楽(同期から聞いた話)、色んなところで社員割引が効くし、管理職になればイッセンマンだし、辞めるの勿体ないと多くの優しいお友達にいわれました。ただ、いま振り返ってみても、あのまま前職に居続けたらITエンジニアとして終わっていただろうなぁ、と思います。

 

前職を辞める前の私の御仕事は、おおよそこんな感じ。

  • 小さいプロジェクトのリーダー(俗にいう手配師)
  • プリセールスや展示会関連の営業補佐
  • 炎上プロジェクトの応援要員(消防士。時に生贄)

 

プロジェクトリーダーというと聞こえはいいですが、所定の手続きを踏んでBPさんを”調達”し、受発注関連の書類を作成(社内の分かりづらいシステムを操作する非常に高難度の仕事)、エクセルでスケジュールと課題を管理、、、、とまぁ典型的なマシン触らない系の御仕事です。(書きながら気づいたんですが、自社の人間のことは「人財」というのに、BPさんに来てもらう時は”調達”ってプロセスを通してましたね。他社の人間はモノって扱いだったんだなぁ)

 

プリセールス関連の仕事は、その名の通りお客さんのところにいく営業活動です。課題のヒアリングみたいな頭から入るときもあったし、受注前の最後の一押しとしていくこともありました。「お、〇〇(親会社の名前)は本気っぽいぞ」と思わせたり、ちゃんと言葉が通じることと頭のおかしい人じゃないということをアピールするためですね。

あとは会社が代理店をやっている他社製品の営業活動。デモ機を持って行ったり、紙芝居(パワポを印刷したやつ)を使って、製品の悪い所に目をつぶりながら製品の良い所を紹介するお仕事。正直にいうと絶対に案件化してほしくない製品なんかもありました。そういう時はね、まぁ色々と(省略)

 

炎上プロジェクトの応援要員として出ていくことも多かったです。わたしはそこまで頭のおかしいタイプではないので、炎上案件を爆発させたりはしません。むしろまともに話が通じるし、キチンと計画を立てるのが好きだし、空気が読めるし、技術力もギリギリレベルは抑えてるし、とりあえずで猛火に放り込んでも悪い方向には行かないだろうね、計算は立つねというタイプの消火財(人材→人財理論の応用)だったと思います。

 

 

このように自分で手を動かしてモノを作るという仕事からはどんどん離れていっていたというのが前職での状況でした。このブログのタイトルは「ホンモノのエンジニアになりたい」です。当時の心の叫びがここに出ていたのだなぁと思います。やっぱり”技術者”として手を動かして成長していきたいってのが私の思いで、会社が求める方向とは大きな乖離がありました。よく言われる多重請負構造のフレームワークの中にいる限り、優れた技術者になるよりも、優れたPL/PMの方が売りが立つから望ましいってことだったんだろうと思います。自分の成長したい方向、会社の思う成長してほしい方向の違いってのが、段々、段々と苦しくなっていった原因であり、その溝を埋めることができず、最終的に「退職する」という決断に至りました。

 

 

2.2.やりたいお勉強ができない

前節では音楽性の違いってことを書きました。私が若手にそんなことを相談されたら「技術者として成長したいなら自分で勉強すればえーやろがい!」とアドバイスをするでしょう。でも、当時自分にはこれができなかった。

 

残業時間は上限なんてなかったし、業務を円滑に進めるために”調べる”という作業は勤務時間外にやらないととても回らなかった。くわえて私は社内のガッチガチレベルの勉強会に(半強制的に)参加させられていました。これが土日を含めて週三回はあって、LT的な発表あり、課題山盛りとだいぶエゲつない活動でした。非常に面白い分野の勉強会ではありましたが、私がやりたいことではなかったってのが辛かったところでもあります。ちなみに半強制で参加させられていたものの、会社公認の活動ではなかったので無給です。(闇の部分ですね)

 

「この会には付いていけないから辞める。俺には成さねばならぬことがある」と言えれば、それがベストだったと思います。でも会社内の政治的な絡みや昼ドラのようなドロドロの人間関係があり、辞めるとは言い難い空気がありました。振り返ると、この会がだいぶ私の重荷になっていたと思います。ただ当時はそういう分析すら出来ていなかったです。たぶんメンタル疾患の人がなかなか自分の疾患に気づけないのと似てる話だと思います。

 

ここまで書いてなかったですね、私が勉強したかったこと。私は「直接的に価値を作り出す仕事をしたい」と、そう考えていました(青臭い感じがして恥ずかしい)。システムがユーザに提供する価値の大部分はアプリケーションからもたらされます。いや、別にアプリ屋になりたかったわけじゃないんすよ。私は歌って踊れるアイドルの如く、インフラもアプリも営業も分かる、アイディアを出してビジネス作りもできる、しかも英語もベロベロに喋れて世界で活躍するエンジニアになりたいと、そう思っているのであります。

 

前職に勤めていたときはインフラ部分はおおよそやれるようになっていました(多分)。で、わたしの最終形態である歌って踊れるエンジニアになるためには、アプリ開発や英語力が決定的に足りなかったので、それを学んでいこうと思っていました。が、手配師業に勤しみながら勉強会に参加している状況で、心穏やかに白紙のノートを広げ「よし新しいこと勉強しちゃうZO★」なんて気持ちにはなれなかったのです。自分の処理能力が足りてなかったと言われれば、そうかもしれない。

 

 

他にも理由はあるのですが、退職理由の主な部分は以上の2つです。技術職としてモノづくりができないこと、会社の延長線上の活動により自分のやりたいお勉強ができないこと。ここまで書いておいて何ですが、自分で読み返してみてもイマイチ当時の焦りや閉塞感が伝わらない文章だなぁと、悲しみに暮れています。

 

3.2018-2019シーズン、無職

18年の頭から20年4月までの間は・・・無職でした(๑´ڡ`๑)

とは言っても「働きたくないでござる」の無職ではなく、「攻めの無職」とでもいいましょうか、今でいうところのリカレント教育のために定職に就かないという選択を取りました。リカレント教育っていったらたぶん通常は学校に通ったりするのだと思います。あたくしは当時でサーバ戦士8年目でしたので、まぁ自走できるほどのジツリキはあると自己判断しアイテ―技術を学ぶ学校には入りませんでした。

 

この無職シーズンの2年4か月でやっていたのは、アプリ開発やこのブログ、もう一個別のブログ、OSS遊び、語学学習でした。あわよくば作っていたアプリを収益源に喰っていけんじゃねーかと期待してもいましたが、全然うまくいかなかった。私は動くよりも前に十分に考えるタイプなので、あれやこれやと色々試してみるってのがあまりできなかったです。

 

と、こういう話をすると「あら?独立に失敗した可哀そうな子なのね、オホホ♫」と言ってくる残念な奥様が多いのですが、私は別に失敗したとは思っていなくて(本当に)、自分の得意なことや苦手なことがあらためて見て取れたし、30代前半のうちにやってみたかったことをやってみて上手くいかなかったって経験は貴重だと思っています。わたしは自分が死ぬときに「やらずの後悔」に埋もれて死ぬのが死ぬほど嫌なのです。人生70年80年あるわけだから、次に同じ機会が訪れた時に以前より上手くやる自信がついたってことでわたくし的には割と満足しているのです。

 

先述の通り、わたしは動く前に考えるタイプの人間で、更に割とリスクを嫌う傾向にあります。「リスク嫌う奴が無職やるのか阿呆なのか」とも言われますが、わたしの中ではそのリスクよりも、新卒で入社した会社に10年20年いる方が高リスクだと思っています。メーカー系のSIerなんてものは固い仕事ではありますが、使っている技術は周回遅れのものが多いですし、会社は成長するにつれて手配師業が厚くなっていくものです。20年勤め続けてそこから外の世界に出ても年収アップを望むのは難しいのではないでしょうか。私はサーバ戦士のキャリアがあるので、これにアプリケーションを上乗せして、更に英語ベロベロのバイリンギャルになれば、40代50代になっても自分に有利な選択肢が並ぶ状況に立てると、そう考えたのでありんす。会社の中でしか使えない人脈を持って、会社の中でしか使えないノウハウを身につけて、技術領域で分かるのは20代の数年間で触った技術だけ、という人間が40代50代になって有利なカードを持てるのかって言ったら、それはやっぱり難しいことだと思うのです。

 

ぶっちゃけ今の時代10年後にどんな技術が流行っているのか、10年以内にどんな会社が伸びるのか傾くのか、労働関連の法律がどう変わるか、予想することはできません。ギャンギャン企業が解雇していける世の中になるかもしれない。私はIT業界ってのは他の業界に比べて先進性と合理性がある業界だと思っています(強い根拠はない)。どんどん貧しくなっていっていると言われる我が国で自らの身を守るのは自身のスキルとキャリアです。今は新卒でないとデカイ会社に入るのは難しいと言われていますが、たぶん10年くらいで状況は変わると思います。中途だろうが、何だろうが、業績に貢献できる人間を、その実力に見合う待遇で取る、という当たり前の世界になると思うのです。

 

少し話が逸れました。書きたかったのは、前職でやっていたインフラ系技術に加えて、アプリケーション開発の基礎を固めたかったってことです。サーバ立てるは超余裕、アプリはカッコよくはないけど作れるし、公開しているし、運用もしている。この状態になるためのピース集め(主にアプリ開発と運用)をしたかったのです。

 

またこの2年4か月の間に語学留学にも行きました。3ヶ月という短期でしたが、ブーストかけて英語力を向上できました。後述しますが、コロナ禍直前の時期に海外の会社に応募し英語での面接(ブリッジSEのお仕事)まで通るくらいのレベルにはなりました。#まーた英語力おちてきちゃってるんだよなぁ(ぱおんoverぴえん

 

あと、なんで2年4か月の無職期間だったの?ということをよく聞かれます。これは1つは予算の面で、必要なお金を計算してみたところ、留学に行きつつ節約生活して3年は持つという感じだったので、安全バッファを設けて2年としました。2年くらいだったら盛大にコケても、そこそこな会社に戻れるんじゃないかとも思っていました。(これは根拠レスでしたが、外してなかったと思う)

 

そして無職チャレンジの成れの果てとして、とても食っていくレベルのものは作れず、残念ながら2年経過した段階で就職活動を始めました。コロナ禍のすったもんだを乗り越え、最終的にいま至極真っ当なIT会社に戻ることができました。

 

 

4.就職活動(2020年1月-4月)

最後に就職活動についても触れておきます。あたくしは18-19年シーズンを無職として花嫁修業(開発・英語のスキルアップ)にあてていました。で自分的リミットの2年が経過した2020年冒頭から就職活動を始めました。

 

2020年冒頭・・・、そうダイヤモンド・プリンセス号が新型コロナウィルスの培養器だと騒がれていた時期です。わたし的には、「あぁ、世の中大変そうね」と高見の見物をキメていたのですが、日ごとに状況が悪くなっていくのは正直けっこう不安でした。

 

くわえて、そもそも二年間無職で勉強していたという求職者が、世間一般の会社に受け入れられるのか、という不安もありました。これについては自分で作ったモノ(このブログもその一つ)があるわけですが、ブログとしての完成度や面白さはまだまだだし、その他公開しているアプリケーションだって本職の人が作ったものに比べると見劣りしかありません。英語力も向上したけど、ネイティブとスラスラ話せるレベルでもない。

 

自分を雇ってくれる会社なんてあるのだろうか?

 

このフレーズは何度も何度も頭に浮かんできました。雇ってくれるかは会社次第、世間次第。自分では大丈夫と思って活動してきたけど、実際のところどうなるかは分からない...。まぁ、このように不安が波のように寄せては引き、寄せては引きと迫ってくるわけです。不安の波に抗うために私が考えていたことを書いてみます。誰にでもはまるものではないでしょうけど、感情よりも論理が強い人は不安を倒せる。

 

私は前職を辞めて、無職としてアプリ開発と語学学習をやっていました。これはどう捏ね繰り回して考えても正しい選択だと思いました。自分のなりたい目標の姿(前述の歌って踊れるエンジニア)があって、業務の経験を通してその姿に近づこうとしてもやたらと遠回りになる。だから自分の学習時間を確保するために会社を辞めて、自己資産で自分に投資して時間を作った。そして作り出した時間で自分のやりたい勉強をやって、自分の能力値を上げる活動を2年間やってきた。アウトプットもある。

 

もちろん、ここで学ぶ方向を間違えていたら、それは流石にアウトです。でも私は自分の進んでいる方向が間違っているとは思えなかったし、それを間違いだと言う人がいたらむしろそのロジックを聞かせてほしいとすら思っていました。「会社を辞めて勉強してより強い自分になる」このロジックが誤っているとは到底思えなかったのです。「だからと言って会社辞めて無職になるなんて普通じゃないよね」とか「頭のネジが外れているヤベー奴」と思われる分には(腹は立つけど)どうでもよかったです。そう思う人たちは私のことを採用しないだろうけど、私もそういう考えの人たちが集まっている会社には行く気がないので、ある意味Win-Win。

 

このように、「自分の行動/選択が誤っていた」と論理的に説明することができないので、少なくとも間違った選択をしたとは思えなかったのです。そして正しい選択が出来ているのであれば、世間様からも当然受け入れられるであろう、と考えていました。まぁ不安になるたびに、「自分は間違った選択はしていない。正しい方向に極振りはしているが、間違ってはいない」と自分に言い聞かせました。不安という感情が心のなかで大きくなっても、論理で撃退してきました。

 

 

話が逸れたのでまた戻します。

私が当初狙っていたのは海外で働くことです。短期の語学留学でセブ島に行っていて、現地の気候や文化がわたし的にがっつりとはまったのでセブ島就職を考えていました。探すと結構あったんですよね、セブ島の働き口って。その中でも日本国内にも進出している超有名系の外資系企業や日系大手のセブ支社が目に止まり、実際にエントリーしてみました。外資企業からは「そのポジションもう埋まった」と速攻でお祈りされました。で、もう一方の日系企業はエントリーしただけで先方がノリノリでトントン拍子で選考が進みました。どうも前職でメーカー系シス子ちゃんに勤めていたところと、セブに留学していて現地の生活感を知っているところが高く評価された模様。

 

人事面接、チームリーダー面接をパスし、残すは条件交渉のみ。支社長との交渉となるってことでしたが、この面談の日程がまぁ決まらない決まらない。どうも現地セブでは「まもなくロックダウンが始まるらしい」という噂が流れていたようで(留学していたときの学校の先生に色々聞いてた)、決断が先送りされているようでした。最終的には3月後半あたりで日本側の大使館が閉鎖されたため泣く泣く私の方から辞退させてもらうことにしました。今でもはっきり覚えていますが、当時の先行き不透明感は本当に大きくて、下手こくと全く就職口が無いとか世紀末状態にすらなり得ると思っていました。セブの3月って言ったら夏ですからね。セブの夏でコロナが活発に動いているのなら、当然日本の夏でも収まらない可能性が高いと考えていました。

 

セブの日系企業を辞退した後は、すぐに家の近くの転職エージェントに行ってみました。当時は採用を絞る企業も出始めているという状況で、転職には良い時期ではないと言われました。海外就職はしばらく厳しいので、海外に進出している、または海外進出を企てている日本企業を中心に会社を探してもらいました。私は特にIT業界の中の業種にはあまりこだわっておらず、それこそコンサルだろうが、SIerだろうが、Web系だろうが、海外勤務に繋がる企業を優先して選びました。

 

私が勇気をもって無職になれた理由の1つでもあるのですが、わたし昔から面接めっちゃ得意なんですわ。新卒のときも、前職在職中にこっそり転職活動をしていた時も、本当に受かりたいと思った企業で落とされたことが殆どないんです。今回の転職活動で面接に進んだのは3社で面接は5回ありました。その内の1社はエージェントから「練習替わりでいいんで受けてきてください」と言われた会社で、そこを除く2社で計4回の面接は圧勝。

 

とりあえず緊急避難の形で国内企業に就職しましたが、今の会社はきちんと海外進出を狙っているようだし、居心地も良いので暫くは今の会社に勤めながらコロナ禍の情勢をみていきたいと思っています。今の会社で海外事業に就けるかは分からないし、コロナが終わるのもいつになるのか分からない。けど、準備している人の元には多くのチャンスが訪れるし、チャンスを活かすためにも準備を怠るわけにゃいかんと。もうノーチャンスだなって思ったときにそこから準備を始めるのではなく、その時にすぐに行動を起こせるように今から準備をしていくのが大切なんだと思っています。

(ほら、わたし真面目で作戦考えるのが好きだから、自然とこういう意識高い系の思想が出ちゃうんですよね。たぶんこれが面接うまい要因だと思う)

 

 

5.今後のウェブログへの取り組みについて

お勉強したことをアウトプットする場として、また自分の考えをブリブリする場所として、このウェブログは継続的に更新していこうと思っています。本当は技術的なところでハマったことなんかを整理して公開したいのですが、いま金融系の堅い仕事をしているのもあって、業務内容に繋がることは書けません。まぁ1年も放置していたので、書きたいことはいっぱいありまして、ゆるーくやっていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。

 

おわり