ホンモノのエンジニアになりたい

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PoCを叩いてみれば文明開化の音がする

PoCを叩いてみれば文明開化の音がする

 

日経xTECHの記事を読んでいたときに思いついたことです。思い付きなのであんまり実がないです。

 

 

日経xTECHの記事

 

日経xTECHの極言暴論コラムです。以下の文章を読んだときに、ビビビッときました。執筆者の木村氏は、しょーもないPoCをよくディスっておられる御仁です。

「攻めのIT、守りのIT」はまさにその典型で、デジタルブームに乗せられて愚にもつかないPoC(概念実証)に取り組むことが攻めのITだと思う経営者が続出した。

 

PoCを叩いてみれば文明開化の音がする

とは?

語感が気に入ったのでタイトルにしてみました。細かいところを説明するのはSexyじゃないのでやめておきます。(うん、すごく便利な言葉。)

 

一応書いておくと(やっぱり書きたい)、”PoCをやっていれば先端的な手法に手を付けている風になる” という意味と、”PoCを叩けば(ディスれば)一歩先に行っている風になる” の2つの意味を込めています。

 

PoCは「やってみたらそれだけで上手く稼げる」的なものじゃないです。実際にPoCというラベルがついた仕事をやったことは無いんですけど、お手軽にチャチャッとやって上手くいくものではないと思っています。

 

「PoC疲れ」という言葉があるそうです。これ、その内PoCという手法自体を叩く流れが出てくると思います。PoC叩いていれば開化人みたいな。それを先回りして皮肉っているという意味も込めています。

 

とはいえ、多くのPoCプロジェクトが上手くいっていないというのも現実でしょう。で、そうなると晴れてPoCはバズワードってやつに進化すると。たぶん今PoCは「幻滅期」にいる言葉だと思います。

 ガートナー、「日本におけるテクノロジのハイプ・サイクル:2019年」を発表

 

私は、PoC自体は筋の悪いものだとは思っていません。LEANスタートアップで言われるところのMVPですよね。スモールスタートして細かく舵を切りながら進んでいくと。モダンでナウくてエモい手法じゃないですか。

 

PoCと文明開化について愚考する

「文明開化」という言葉をWikipediaで引くと、こんな説明があります。

文明開化(ぶんめいかいか)とは、明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣が大きく変化した現象のことを指す。さらに、「西洋のものなら何でもよい」という考えすら出ていた。

文明開化 - Wikipedia

 

明治を令和にしても状況によっては十分に成立する説明ですね。「西洋のものなら何でもよい」ってのは割と今でもその通り。我々はあまり進歩していないのかもしれません。笑

 

PoCを文明開化と見ると(強引ですが)、廃刀令は廃現金令(キャッシュレス推進)、学制の導入はプログラミング教育の導入って感じでしょうか。「牛鍋食わぬは開化不進奴」なんて言葉もあったらしいです(Wikipedia)。これは現代に置き換えると、「AI/IoTやらぬは開化不進奴」でしょうか。だいぶ苦しいですね。

 

歴史が繰り返されるなら、西洋文化が何となく広まったあとに起こるのは、戦争です。GAFA合衆国、BAT共和国とどうお付き合いしていくか。逆らったら原爆落とされてとんでもない経済損失がでるかもしれませんからね。月月火水木金金。欲しがりません。勝つまでは。

 

Wikipediaの中にはこんな説明もありました。

その社会が変化していく時代を強調し「開化期(かいかき)」、「御一新(ごいっしん)」などの別称もある。

数年後に振り返ったときに、「令和の始まりはIT業界の御一新だった」と言われる世の中であれば良いのですが、果たしてどうでしょう。(ん?良いのか?)

 

PoCと20%ルールの関係を愚考する

冒頭の日経xTECHの極言暴論を読んだときに、ビビビッと来たのは「PoCって根っこは20%ルールと同じなんじゃないだろうか」という思いつきでした。文明開化の話は後付けです。

 

PoCは新規事業を行うにあたって、本当に実現できるのか、本当にユーザが望んでいるのか、本当に稼げるのかを調査するところに本質があると思います。一方、Googleがやっている(やっていた?)20%ルールってのは従業員が業務時間の20%を好きに使って面白い・創造的な・稼げる仕組みを作ろうよというものです。

 

本質、目標地点は同じところにあるんです。予算の付け方や実行体制、自由度の違いはあるものの、到達したい目標地点は同じ。でも、Googleという大成功を収めた会社がやっていたルールはなぜだか日本で普及しませんでした。なぜ共通の目的があるPoCは一気に普及したんだろうか。

 

このエントリを書く最初の段では「20%ルールが普及しなかったのにPoCは普及してる。みんな踊らされてるんだ。そうに違いない。」と直感的に考えていました。ただ愚考を進めていくと、そこには悲しい現実があるのではないか、ということに気づきました。考えたことを箇条書きで書いてみます。

 

  • なぜ20%ルールは普及しないでPoCは流行ったんだろうか?
  • Googleは社員全員が優秀だから「好きにやれ」で効果が出るのか?
  • 国内企業は社員に自由を与えても結果が出ないと判断しているってことか?
  • 会社は社員の能力を信用していないってことか?

 

うん、やっぱりそうだ。だって企業ってのは利益を追及する組織なわけでしょ。ってことは、「やっていることは利益になること」であり、「やっていないことは利益にならないこと」なわけです。(だいぶ極論ですが…)

 

自由にビジネスのタネを考えて、自分で作っていいぞ、と命令しても利益にならないと会社は判断している。会社が社員の能力を信用していないっていうのは、考えていてちょっと悲しい話だなと思いました。

 

そこでウワサのPoCですよ。PoCだったらプロジェクトとして体制を組んで進めることができるので、管理が楽なんでしょう。管理職や経営者の理解を超えた訳わからんものが出てくることもないです。そういうのはそもそも承認されずにプロジェクトとして走り出さないので。

 

また明らかに能力が足りていない社員はアサインせずに「お前はあっちでタンポポ乗せる仕事をしてろ」と排除できますからね。能力的に信用できない社員にはやらせないってことができる。

 

あれ?でもそれってPoCが出てくる前と変わらないような・・・

 

うーん。。。過去と違うのは、「PoC」というラベルが世間に認知されたってところですかね。「これはPoCプロジェクトです」と言うだけで何となく理解が得られる環境が整い始めてきた。そんな気がします。

 

PoCとSIピラミッド

IT業界、特にSIerの世界ではSIピラミッドと言われるヒエラルキーが存在します。ピラミッドの頂点にいる大手SIerが、大口顧客の案件を受注して、プライムベンダーという名の椅子に座る。プライムベンダーは受注した案件をいくつかの単位に切り分けて、子会社や子飼いのシステム会社に実際の開発を投げる。受け取った二次請けは三次請け、はたまた四次請け、以下闇の世界から自称エンジニアを集めてプロジェクトを進める。こんな構造になっています。

 

このエントリを書きながら思いついたことなんですが、PoCをやる余力(お金)と、モノを作り出す技術力って、現代の日本のIT業界周りでは正比例しない形になってるんじゃないでしょうか。

 

「PoCをやるぞ、そのためのお金もあるぞ」という余力のある大企業は、普段から外注企業に丸投げしてるから、そこまで高いIT技術力を持っていない。反対に技術に強い会社で、物凄く余力のある会社はない。歪な感じですね。

 

だからお金を持っている会社は、技術を持っている会社と提携する。けど、PoCってそれこそ速さが重視されるものですし、MVPを作ってとなると、その後にどんな道を辿るかは分からないものになります。小さく作って、小刻みに方向転換をしながら、製品化への道を探るわけです。

 

ゴールまで辿り着けるか分からない、どこがゴールなのかも分からない、そもそもコースすら決まっていない、という状況下で進まなければなりません。しかも提携先企業との間で交わされた契約という枠の中で。そりゃ確かに「PoC疲れ」という言葉が生まれても不思議ではない。そして長引けば長引くほど投資金額が増えていき、いろいろと風当たりが強くなる。

 

多くの日本企業はIT部門が貧弱だから外注せざるを得ない。外注すると自社社員にやらせるよりも多くの金がかかる。エンジニア単価の面でもそうだし、外注によるオーバーヘッドもかかってくる。つまり非常に効率が悪い。

 

結局のところ、IT業界を含む産業構造が大きく変わらないと、PoCっていう見た目と聞こえのいい素晴らしい手段を導入しても、それは外見を取り繕っているだけなんだと思います。

 

おわりに

思いつくままに書いてきたら、結局何が言いたいのか自分でもよくわからなくなってきました。最後だけは華麗にまとめます。

 

「PoC疲れ」 が顕在化してきた2019年。来年は「PoC離れ」の年になると予想します。タイトルの通り、PoCを叩いて(ディスって)いれば開化人、みたいな潮流が一部で出てくるんじゃないかと。

 

私たち日本人はとても流されやすい国民性を持っています。「みんながやっています」という話になると、「あ、そうなんですか、じゃ私も」となる。過去を振り返ると戦争の時は皆一緒にトチ狂っていたし、数年前は仮想通貨がアツいと一気に皆がベットしていました。

 

PoC疲れとかPoC離れとかって言葉が出てきた時に、また胡散臭い連中が大挙して現れるでしょう。「PoC?もう誰もやっていないですよ。それよりも皆がやっている最新の手法が・・・」と言ってきても流されてはいけない。

 

日本人の特徴なのかは知らないですが、我々はしょっちゅう目的と手段をごっちゃにして道を誤ります。PoCは「手段」です。目的は製品・サービスを作り出すこと。価値を作り出すこと。そしてそれで稼ぐこと。そのための手段としてPoCが存在していると。 ここを間違えちゃいかんのだ、と自戒の念も込めて書いたところで筆を置きます。

 

おわり